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原題:なぜヒーローなのか?「笑顔で人々を救う」から「悪役の基礎理論」まで

アニメオタク外人さん
日本のメディアにおけるスーパーヒーロー

スーパーパワーを持つ個人、誇大妄想にとらわれている悪役、ヒーローにはコードネームがあり、カラフルな衣装を着て戦う
我々にとっては典型的なヒーロー像だが、日本ではあまり一般的ではない
しかし近年、西洋風のスーパーヒーロー物が日本で旋風を巻き起こしている

『僕のヒーローアカデミア』だ

ヒロアカはヒーローが飽和している社会を描いていて、このジャンルでは最新(そして最高)の作品である
作中のヒーローは功績によってランク付けされており、彼らの「ヒロイズム」は規制の中で商業化されている
同系統の作品には『ワンパンマン』『TIGER & BUNNY』があり、ヒロアカと共通する部分が多々見受けられる

これらの作品に設けられているテーマは、「主人公が理想とするヒーロー像」と「誠実さよりもランクを重要視する社会」のコントラストであることが多い

すべてのヒーローがマントを着ているわけじゃない

日本では西洋風のヒーローが流行らないとはいえ、ヒーローになりたいという主人公の願望は他のアニメにも共通するテーマといえる
これは過去10年間で最も成功したフランチャイズのうちのふたつ、『fate』と『物語シリーズ』を例に挙げるとわかりやすい

主人公は「ヒーローとは人々を救う存在だ」ということに同意する
しかし、そのヒロイズムを実行するにあたって壁にぶち当たる

『Fate/Zero』の衛宮切嗣は、彼が掲げた理想に反対する人を排除することが人々を救う方法だと信じていた
この信念はヒーローよりもヴィランに近い(例:ヒロアカのステイン、タイバニのルナティック)
最終的に切嗣の信念は間違っているということが描かれるが、ステインやルナティックよりは正しかった

それに比べ阿良々木暦、衛宮士郎はヒーローらしいヒーローだ
彼らは長期間にわたって「人を救いたい」という願いを持っていたし、通常は非暴力的で、戦う理由があってはじめて戦う

しかしこのふたりは、ヒロアカのデクやタイバニのワイルドタイガーと違い、無私で戦うというわけではない

悪役の理論

偽物語の最終話で、阿良々木は超人的な力を持つ陰陽師と戦う
死ぬ寸前のところまで追い詰められる阿良々木だが、彼の信念に心打たれた陰陽師が手を引き事なきを得た
そのときに陰陽師が悪役の基本的な理論を説いている

曰く「人間は欲望に支配されているので、本質的には悪だ」と
彼らの行動は自分の欲望を叶える手段にすぎないので、善良、無私というのは偽善だ、と

阿良々木は他人のために行動しているわけではないと言う
彼は家族のために命を賭けるが、あくまでも自分のためにやっているのだと
自分の欲求を満たすために自己犠牲にはしる

衛宮士郎の場合も同じで、彼は他人のために命を賭けているのではない
彼の動機は罪悪感にあり、自分だけが大災害を生き延びてしまったというところにある
つまり他の人が死んでいるのなら自分も死んでいると考えている

それで、なぜヒーローなのか?

ヒーロー物の登場人物が他ジャンルの“自称”ヒーローと比べて純粋だと言うつもりはない
たとえば
『TIGER & BUNNY』には様々な動機から活動しているヒーローたちがいる
バーナビー・ブルックスJr.は無私ではなく復讐のためにヒーローになった
ファイヤーエンブレムは同性愛者だということをからかわれた過去をもつ
折紙サイクロンは友人に対する罪悪感を背負っている
ブルーローズはヒーロー活動に興味がなく、芸能活動への足がかりとして利用していた


ヒーロー物には特定の傾向、「ヒーローになりたいからヒーロになる」という展開がある
デクとワイルドタイガーはそれぞれオールマイト、Mr.レジェンドに触発されヒーローを目指す
彼らは英雄になりたいから、英雄がそうしているからという理由で人助けをする


これは悪いことではなく、とくにタイガーに関しては上手く掘り下げている
しかしどうしても後々のモチベーションが弱くなってくる
だからシリーズが進むとレジェンドの地位に疑問符がつき、タイガーの信念が再構築される

一方デクとオールマイトに「笑顔で人々を救う」以外の欲求がない場合、彼らをリアルな、魅力的なキャラクターだと見なすことが難しくなる

性悪説に同意するかはともかく、ヒーロー物を書きたいすべての作家はこの考えを念頭に置いておくべきだ

「英雄になりたい」「人を救いたい」は動機ではなくゴールだ
なぜ救いたいのか尋ねることでストーリーが深まっていく
この人に何が起こったのか?
人を助けることで何を得るのか?


アニメオタク外人さん
士郎の考え方が好き
あとオールマイトは燃える


アニメオタク外人さん
俺たちの親分上条当麻とヒーローについての議論はなしか

アニメオタク外人さん
>>3
上条自身が英雄、悪役のラベリングは不要だと言ってるからな
救いたかったら救え、だとよ


アニメオタク外人さん
>>4
「困っている人を助けるのに理由はいらない」
うん、彼主人公だわ



アニメオタク外人さん
ネタバレすると上条当麻は平均的な主人公じゃない

アニメオタク外人さん
いくつか難癖をつけると
彼らの行動は自分の欲望を叶える手段にすぎないので、善良、無私というのは偽善だ、と
これを心理的利己主義という
このパートはどうも正確さがないように思えた
というか堂々巡り

あなたはXをしました
なぜならそれが幸せだから

なぜ幸せになれたのか?

Xをしたから

いずれにせよ上手く書けてるとは思う
しかしいくつかの点を指摘したい

一方デクとオールマイトに「笑顔で人々を救う」以外の欲求がない場合、彼らをリアルな、魅力的なキャラクターだと見なすことが難しくなる

動機、目標の探求はそれ自体が面白い
より面白さを増幅させるには動機なり目標なりの意味を見つけ、克服していく展開が重要
動機が目標そのものということもある
何にせよひとつの要素にあれこれ詰め込むのはキャラクターの魅力にはつながらない


まぁ、よく書いた!

アニメオタク外人さん
ヒロアカとタイバニが物語シリーズ、fateより売れていないという怒りが垣間見えた

アニメオタク外人さん
脇道にそれてるのはわかってるからひとつ言わせてくれ
ここで言われてるほどデクは浅いキャラじゃない
彼は超能力が中心となっている世界に住む非力な子供であって、我々が今いる現実とは完全に違う場所で暮らしている
ヴィランは絶えず襲ってくる


デクが傾倒していたのはオールマイトだけではなくすべての個性だ
彼の価値観、価値基準は他人をどう守るかに集中してる
弱かったからいじめられた
だから強くなりたいと願った

デクと爆豪の面白い対比になっているのがこの部分
爆豪にとっての力は究極の理想
デクにとっての力は究極の理想(他人を守る)を実現するための手段

どちらもひねくれてるんだよ
爆豪はいじめっ子だったから
デクはいじめられっ子だったから

そしてどちらも間違ってる
なぜならあの世界で「力」は貴重なものではないから


俺が思うに、みんな「スーパーヒーロー物」を文字通りに受け取りすぎ
昔ながらのヒーローは単なる最終兵器だ

モンスターは危険を示す古典的な記号
勇敢に振る舞った奴がヒーローだという表現の形態


そのために勉強したり、友達に謝ったりすればバットマンになる
クラーク・ケントのときに正体を明かすスーパーマンでもある


『僕のヒーローアカデミア』の話に戻る
なぜデクはヒーローになりたいのか?
彼が良い人になる唯一の方法だからだ
スーパーヒーローとは、誇り高い人物であるという記号だ

なぜ良い人になりたいのか?
ヒロアカがその問いを設定してるとは思わない
すべてのヒーロー物に必須のテーマだとも思わない

ヒロアカ2期では純粋な理想がどのように腐敗していくかに焦点があてられていた
そういったテーマを持つ作品(たとえば『PSYCHO-PASS』)で必ず持ち上がる疑問に対し、真のヒーローはこう答える

良い人であろう
スーパーヒーローであろう
悪に染まらず、ステインのようにもならないようにしよう


アニメオタク外人さん
>>8
漫画を読んでいたらデクが成長していることを知ってるはず
今はもうオールマイトのレプリカになろうとしている子供ではなくなった
ゆっくりだが自分の考えを成長させてる


10 アニメオタク外人さん
しかし誰かが悪役の理論を否定したらどうなる……?
俺が間違っていなければ議論はこうだった


ヒーローたちは無私に徹し、人々を助けたいという欲求から救う A
悪役の理論:無私の人間はいない B
悪役の理論が正しいなら、無私の状態で人々を助けたいという欲求をもつことはできない Bあるいは-A
よって、
人々を助けたいという欲求から人を救う無私のヒーローは非現実的かつ表面的である -A

悪役の理論が間違っているのなら結論も間違いになる
スレ主は自ら悪役の理論は正しいと言った
前提の一つがまだ証明されていないが、結論が正しいという根拠を示してくれ

加えて「無私なキャラクターは魅力的ではない」という意見には反対
そのキャラの特徴が無私しかないなら同意だが、今回挙げられているのはそうじゃない

オールマイトは自分の死に対処しなければならない
すべての人を救いたいが、それはできないという事実も考える必要がある
故障を隠さなければならない事情もある

デクは個性がないという劣等感をかかえて生きていた
臆病で心配性、有事の際には考えなしでつっこむ癖がある
平生は思慮深い男だ

魅力がないというには無私以外のこれらすべての特徴を消さなきゃ無理
ただし、どんなキャラでも特徴をひとつだけにしたらつまらなくなる

彼らは英雄になりたいから、英雄がそうしているからという理由で人助けをする
Tiger & Bunnyは見たことがないが、デクに言ってるのなら間違ってる
1話目にオールマイトが人助けをする動画があった
彼の動機はそこにある
危険を顧みず救出を続ける姿に感銘を受けたんだ

デクは人の心を動かすヒーローに憧れた
俺は人を救うやつをヒーローだと思う
堂々巡りではなく、人助けをすることとヒーローになることは同じ意味だ

最後に
「英雄になりたい」「人を救いたい」は動機ではなくゴールだ
動機とゴールの違いは?
1つしかないものを無理やり2つに分けてるように感じた

11 アニメオタク外人さん
>>10
動機とゴールは明らかに別物だ
たとえばUBWの士郎は途中で動機が変わったがゴールは一貫してた
スレ主がゴールを欲求だと言ったから混乱してるんだと思う
つまりヒーローは望むことなく人々を助けなければならない

12 アニメオタク外人さん
最終的に切嗣の信念は間違っているということが描かれるが、ステインやルナティックよりは正しかった
ステインの哲学は悪者を根絶やしにすることじゃない
というか悪者とはほぼ無関係
ヒーロたちをテストして真のヒーローを見つけようとしてただけ

13 
アニメオタク外人さん
一方デクとオールマイトに「笑顔で人々を救う」以外の欲求がない場合、彼らをリアルな、魅力的なキャラクターだと見なすことが難しくなる

この部分には反対
笑顔で人々を救う、というのは動機ではなく目標だ
オールマイトは自分の中にあるヒーローの理想像に従い活動してた
ヒーローが飽和状態の世界でヒーローを目指すというのはかなり現実的
劇中の子どもたちは警察官や消防士になりたいという感覚でヒーローに憧れる


スーパーヒーローが珍しい世界(例:マーベルユニバース)では無意味に思われるかもしれないが、ヒロアカ世界のヒーローは政府の管理下にある職業なんだ
あの世界の基準でいうと、緑谷出久は身体障がい者だ
この仕事は物理的に無理だという状況がある
その仕事に就いている人に強く憧れながら育っていく


オールマイトの存在もきっかけのひとつだ
プロスポーツ選手たちも子供の頃憧れていた選手がいるだろう


あの世界では超能力はありふれている
だからデクの動機は他のヒーローのそれ(親を亡くした、絶望、幼少期のトラウマ)と比べても健全そのものだ


オールマイトはスーパーマンみたいなもの
外では笑顔で人々を救い無敵の輝きを放っている
間違いは許されない
彼が存在しているだけで犯罪が減る
こういった「シンボル」になることで、いなくなることで起こる社会的混乱の原因にもなっている


裏では怪我をひた隠しにし、無防備で臆病、不器用ですらある
体力も限界でシリーズの開幕時には爆豪を危険な目にあわせた
ヒーローを体現する数少ない人物のうちのひとりだ
良い悪いはともかく、理想を追いかけている男

これらの要素もキャラクターに深みを与えてる
強さに関しては、多くのキャラが当初から変わってない
ヒーローとは何か、というデクの認識が変わった
オールマイトは師として変化を示し、多少残念なことになった

『Fate/stay night 』と『物語シリーズ』を見てから時間が経ってるが、確か衛宮と阿良々木は首尾一貫したキャラだったよな


14 
アニメオタク外人さん
衛宮士郎は無私無欲な人間じゃないと言っているようだが
これは理解が足りてない
あいつは日本のアニメ、ビジュアルノベル、ゲームの中で一番無欲な人間だ
しかもUnlimited Blade Worksはその極端さを描いたルートだ
ああいうやつはちょっといない



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