原題:Don't Lose Your Way - The Value of Diversity

アニメオタク外人さん
俺の仕事は5~17歳の子どもたちと関係している
しかし、プライバシー保護のために具体的な名前は明かせない
ここではただ「プログラム」に参加しているとだけ言っておく

アニメコミュニティは批判と論争で満ちている
もちろんその多くが単なる冗談であり、「俺の嫁論争」などはその典型例といえるが、それでもごく一部は本気で言い合いをしている

いわゆる「Big 3」アニメから入った人々は年をとっていて、毎期新しいアニメが放送されるたびに新規ファンと古参の間に軋轢が生じている
ファンサービスの効果などは常に議論されていて、多くの場合はエリート(※硬派)主義的な主張がなされ、しばしばその意見は他人に押し付けられる


まずはっきりさせたいのは、なぜみんなRedditのアニメ板にいるか、ということだ
我々はアニメが好きだ
シンプルな共通点がこの場所を作り出し、情熱をもって日本のアニメを語る場として成立した
ファンアート、議論、特定の作品、俺の嫁論争、アニメ業界全体、多種多様なスレッドが受け入れられる場

アニメは我々を結びつけた
そして全員に影響を与えている

ある種のアニメは行動するきっかけになる
またあるときは社会不安を抱えている人が共通の話題で繋がれるツールにもなる
俺がアニメコミュニティを愛する理由がそれだ

俺の職場にいる特殊な子どもたちはアニメを見、感想を共有してコミュニケーションをとっている
俺は貧困層が多くいる地域で子どもたちの面倒を見るボランティアをしている
温かい食事、放課後に悪さをしないよう健全な環境を提供すること、感情的なケア、一時的に住むことのできるシェルター、あるいは親の代わり……
プログラムに参加してくるのは、いずれも惨憺たる環境で生活していた子どもたちだ


街はギャングのたまり場になっている
子どもたちの多くは暴力を経験している
ギャングメンバーだったという子もいる

彼らの環境に絶句させられることもある
簡単じゃない仕事だ
ボランティアは週ごとに計画が組まれているので、たいていはスポーツを主としたケアを行っている
俺が参加した当初、何人かの子ども(年長者)が俺のバッグについているポケモン&まどか☆マギカの缶バッジを見て興奮していた

彼らは傍によってきて、お気に入りのアニメを尋ねてきたり、
ナルトやサクラのスケッチを見せてくれたりした
彼らは純粋に楽しんでいた

スケッチから推測するに、子どもたちのお気に入りは『NARUTO』『妖怪ウォッチ』『僕のヒーローアカデミア』などの作品だった
絵を見せてくれるとき、彼らは嬉しそうにキャラの説明をする
顔を輝かせながら一生懸命教えてくれる

上で挙げたアニメはどれも叩かれているものだ
「過大評価されている」と
自分自身もそういったコメントを書いたことがある


だけど悲惨な環境で育った子どもたちにはまったく別のものが見えていた
彼らは努力するキャラクター、ヒーローに憧れていた

ある日、プログラムの責任者と夕食をとる機会があった
彼は子どもたちが自由時間に俺のまわりに集まってくることに気づいていて、一貫したプログラムでは多様な環境を与えるのが難しいと話してくれた
子どもたちにクリエイティブな場を与えたいと言い、アニメクラブを作るよう頼まれた

俺は毎週火曜に子どもたちとアニメを見て、倫理的なテーマを話し合う場を設けることにした
予定では批評的な思考を身につけ、その中でいくつかの重要な教訓を教えていくつもりだった
『僕のヒーローアカデミア』を見ながら、目標を設定し、達成を目的にするのではなく積極的に取り組むこと自体が大切なのだと教えようとした

結果は真逆だった
彼らは俺に聞いてきた
「大学でやってきたことが目標だったのか。それに向かって努力しているのか」と

自分の人生は何だったのか
俺が大学に行ったのは、それが当たり前だと思ったから
プログラムに参加して、子どもたちと出会うまでは目標なんて考えたこともなかった
ボランティアに参加したからこそ、非営利団体で働くための学位をとろうと思うようになった
子どもたちとアニメを見る機会がなかったら思いもしなかっただろう

子どもたちと語り合ったものにはこんなものもある
『オーバン・スターレーサーズ』を見て、「親に必要とされない子供はどうするべきか」を話し合った
『妖怪ウォッチ』を見て、喪失の5段階について、一人で苦しむのではなく他人と共有する方法について話し合った

このふたつは、彼らのような境遇の人が若いうちに乗り越えなければならない課題だ

彼らが個々にどういった経験をしてきたかにかかわらず、感情移入できるモデルがアニメの中にはある
たとえば悟空とナルトは彼らのお気に入りだ
逆境に強いという一点が共感を与えた

同様にデクとエレンもそうだ(9歳に進撃の巨人を見せるのは若干のためらいがあるが)

これらのキャラは彼らの心と話す
これらのアニメは彼らの心と話す
彼らの楽しそうな顔を見るのが俺の喜びだ

実際は難しいこともある
子どもたちと『妖怪ウォッチ』を見るのは簡単じゃない
つまらんと思うこともある
しかしこのプログラムとアニメクラブは子どもたちのものだ


彼らのケアは難しい
何もできなかったと思う日も多々ある

それでも彼らの楽しそうな顔には毎度勇気づけられる
彼らは俺よりも強く、勇敢だ

ポケモンが大好きだという男の子が毎週来る
一度なんでそんなに好きなのかと尋ねたことがある
すると彼は言った
魔法で戦うクールな生き物、クールなキャラ、冒険が好きなのだと


そしてもうひとつ
サトシは傷ついたポケモンを助ける良い人だから自分もそうなりたい、と彼は言った
彼の夢は獣医師だ
いつか大学に行き獣医師の免許をとるつもりだと話してくれた

これには驚かされた
彼の両親はどちらも学校に通ったことがない
4ヶ月前まで育児放棄の状態にあった
そんな状況でも前に進む目標をもっている
ポケモンがどれだけ影響したかはわからない
しかし確実に影響はあった

『NARUTO』を見ている子供がweebだと?
だから何だってんだ
見たいと思って見てるものを制限する必要がどこにある?
『ソードアート・オンライン』が好きだと言っている子がいたらそれでいいじゃないか

アニメはいろいろな形で影響を与えるものだ

俺たちが「普通」だと思うアニメから学び、感じ取る子どもたちを見るのは新鮮な驚きだ

アニメオタク外人さん
貴重な体験を共有してくれてありがとう!
一度ファンコミュニティに入ったら、いやゆる「スターターアニメ」への尊敬、純粋な驚きを忘れてしまうのは事実

子供の視点は、俺たちが失ってしまった視点や、新しい視点に気づくきっかけになるね

もう一度、ありがとう!

アニメオタク外人さん
成長し、メディアを消費し、議論に参加するということを「エリート主義」と呼ぶのではなく、嗜好が開発され批評できるようになったと呼ぶこともできると思う
感想を自分の言葉で表現できるようになったと言うほうが、エリート主義よりは現実的な響きだ


アニメオタク外人さん
>>3
好みが変わるのは正常な成長だ
エリート主義というのは好みが変わったときに昔の趣味を忘れること
とくに王道展開は1000回繰り返し見たからといって、最初に見た1回がつまらなかったということにはならない
自己を俯瞰して見ることが大切

アニメオタク外人さん
人気アニメが王道展開だからといって駄作扱いするエリート主義者への反応がこの画像だわ
大部分の批評家もそうだが、彼らはもはやアニメを楽しめない
楽しめないということを分析してる

あいつらは面白い作品が芸術的な傑作である必要はないということを忘れてる

let


アニメオタク外人さん
>>5
楽しめないということを分析してる
ワーズワース曰く「我々は分解し台無しにする」

あいつらは面白い作品が芸術的な傑作である必要はないということを忘れてる
良いor悪いという一次元的な評価基準が大きな損につながってると思う
信じられないほど出来の悪い脚本(あるいは単純なクリシェ)だが、満足できる物語がある(必要な展開だったから)
完璧に描写されているが、見ていられない物語がある(見ていられない展開を描くことが目的だったから)

そこに音楽や撮影技法、展開速度、演出を加えるとさらに複雑になる
次に個人的な趣味趣向が来る
『二都物語』と『カラマーゾフの兄弟』は素晴らしいプロットとキャラクター、テーマ、叙述をもつ小説だ
しかし俺は学校で読まされたという理由で
『二都物語』が嫌いだ
『カラマーゾフの兄弟』は何度も読んだ(人々を怒らせないようにわざとアニメのタイトルを例に出していない)

1~10の評価は何も表していない
同時にこの評価は人に見られる
面白い作品は芸術的である必要はないが、作品の批評はしばしばファンの怒りを買う
欠点に気づいても好きだということができる
素晴らしいと感じても嫌うこともできる

個人的な不満があるとすれば、一部の人が過度に考えすぎてること
たとえ欠陥があったとしても、良い部分を無視してはいけない

ここで言っていることはスレ主の投稿とは無関係だが、ちょっと突っ込んだことを言いたかった

ここにいるほとんどの人が最初に見た少年アニメを覚えていると思う
『ドラゴンボールZ』『NARUTO』『BLEACH(俺はこれ)』『ワンピース』『進撃の巨人』『ソードアート・オンライン』『僕のヒーローアカデミア』

どれを見ていようとも、いつしか繰り返される展開に飽きが来る
友情パワーで復活するヒーロー
あるいは根性で、あるいは真の力の開放、あるいは魔法のような力で逆転する

同じ展開だろうと、憧れだったキャラがバカになろうと、それが初見だという人にとっては新鮮な展開だ

アニメオタク外人さん
最初の行を読んだ
俺の嫁論争をマジでやってる奴はいない


アニメオタク外人さん
>>7
はいイチゴVSゼロツー


アニメオタク外人さん
>>8
アスカVSレイも

10 アニメオタク外人さん
>>8
>>9
戦死者に黙祷しよう


11 アニメオタク外人さん
これは本当に重要なことだと思う
政治的な理由で特定の作品を叩いてる人がいる

彼らは不快だと感じた展開(ファンサービスや進撃の巨人の漠然とした政治的描写など)を見るとすぐに「これは危険だ」という意見を拡散する

しかしそれらの意見は非常に単純な推論にすぎない
普通人はそういうやり方で感想を共有しない
みんなそれぞれの解釈があるから

明らかなプロパガンダ以外の作品は、解釈がわかれるのは当然だと思う
「これはこういう意味に違いない」と断定することはできない
だから俺はこういうタイプの批評に疲れちまった
「ゲームをやると子供が暴力的になる」と言われていた頃から進歩がない
人々の感じ方が多種多様だということを完全に見落としてる

12 アニメオタク外人さん
>>11
メディアの影響は確実にある
『Call of Duty』と戦争映画は確実に軍隊への志願者を増やした
人間は常にフィクションからインスピレーション得てる
どの時代のどの作品が人々にどういう影響を与えたか論文を書けば学位がとれる


メディアは重要な政治的、社会的メッセージを伝えられる
なぜ風刺漫画が歴史書に載ってると思う?
我々が『コモンズの悲劇』『アラバマ物語』『穏健なる提案』を読まされる理由は?
国語の勉強のためだよな、うん
しかし読者に影響を与えるためでもある

13 アニメオタク外人さん
>>12
「メディアが人に影響を与える」と「メディアによる影響を正確に予想できる」は別物だ
たとえば『意志の勝利』は明らかに特定の思想を広めるために作られてる
俺が言いたいのは、専門家でもない奴がメディア理論の用語を使って自己正当化しようとしてるってことだ
生理的嫌悪感を合理化するためにな

お前が挙げた作品は政治的な内容が含まれているばかりでなく、それを広める目的で作られたものだ
穿った視点で見たときにちょっと問題になる程度のアニメと一緒にするな
俺が問題視してるのは、政治的意図が含まれた風刺パンフレットよりも断然曖昧なアニメに向かって出発しようとしている正義の十字軍連中だ



引用元