外人速報

アニメ、ゲーム、マンガ、バーチャルYouTuber、仮想通貨などに対する海外の反応をお届けします

    タグ:アニメ



    アニメオタク外人さん
    エボシ御前は間違っている
    それでも我々は彼女のことを知りたいと思う

    アニメーション映画の登場人物は、良い人間であればあるほど関心を集める
    映画の悪役にはたいてい同情的なバックストーリーがあり、それを見た我々は彼らを良い人間だと思ってしまう
    その悪役が何か悪いことをすると、それまでの感情移入がすべて無効化される


    しかし宮崎アニメでは複雑な感情が入り混じっていて悪人と善人両方に感情移入できる
    映画『もののけ姫』は憎しみについての話だ

    我々はアシタカの視点を通していろいろな対立を目にする
    森に足を踏み入れ、その美しさに感動し、シシ神様に畏敬の念を抱く
    サンと打ち解けたあとは、猩々、イノシシ、山犬の関係性を知る
    アシタカはモロの信頼を得、人間に荒らされた被害を見る
    伐採された木、死んだ神々、そして自分自身の人間性を嫌悪し、すべての人間を殺したがっている山犬の女の子

    一方タタラ場ではエボシの作った立派なコミュニティ、売られているところを救われた女性、ハンセン病患者などを見る
    彼らは自分の仕事に誇りを持っている
    エボシをどれだけ尊敬しているか、戦いに対する覚悟があるかをここで知り、エボシがいなければ絶望的な状況だっただろうことを漠然と理解する
    山犬の襲撃で愛する者を失った人たちを見、彼女らと一緒に死を弔う

    タタラ場と森の戦いに悪役はいない
    エボシは森を切って製鉄所の燃料にし、人々の生活を豊かにしている
    サンは森を枯らさせないためにエボシを殺そうとする
    誰もが自分の愛するものを守ろうとしている
    みんな自分の世界の価値観で「善」を行っている
    愛するものを奪われた経験のある彼らは、何かを憎まずにはいられない状況に陥っている
    誰もが何かしらの罪を背負っている

    アシタカはこれを理解し、曇りなき眼でこれを見ようとする
    だが彼はどちら側につくか選ぶことになる


    ・エボシは間違っているから

    仮に血で血を洗う争いがなかったとしたら?
    エボシが森に入らなければサンに憎まれることもなかった
    山犬は攻撃してこないだろう、サンも街を襲撃せず、死者もいなかっただろう

    サンが攻撃しないという選択肢もある
    その場合エボシが森を伐採し続け、土地は枯れ、空気は汚れ、森は死ぬだろう
    森林伐採は「憎しみ」でやっているわけではないが、とにかく森は死ぬ

    アシタカが望んでいるのは平和だ
    タタラ場と森が対立せず生きていける道を探している
    必然的に森に味方するしかない
    自然が死ぬと人間と森両方が不幸になるので、彼はシシ神を討とうとするエボシを止める

    同時にタタラ場も守ろうとし、できることすべてをやる
    そして街の人がエボシに従うのををやめさせようとはしない
    しかしエボシを気にかけることは、彼女を自由にさせておくという意味ではない

    アニメ映画では同意と共感を同じ意味で扱う傾向がある
    つまり「それは間違いだ」という意見は「君のことが好きじゃない」と同じ意味になる
    誰かを裁く瞬間は貶すのと同じ
    対立している両側に共感するのであれば、それは全員が正しい、間違っている人は皆無だということを意味し、すべてが主観的、すべての戦いは単なるコミュニケーション不足が原因になる


    もしエボシとサンが座って会話をしたらどうだろう
    争いの原因が単なる行き違いではないことがわかる
    ひとつの意見は「森には存続させる価値がある」ということ
    もうひとつが「森に価値はないから消えてもいい」ということ

    この違いに間はない
    中立の意見は存在しない

    エボシは間違っていた
    一度失えば取り返しがつかなくなるようなものを否定してはならない
    しかしほとんどの悪い意見は善人に支持されている
    彼らに慈しみの感情を学ばせ、伐採を止めなければならなかった
    (※アシタカが止めなければならなかったという意味)

    エボシにこう言うことができた
    「あなたはサンの家を襲い、母親を撃った。だから彼女はこの争いの責任はあなたにあると言っている」

    エボシはこう答えるかもしれない
    「私にも同じことが言える。サンは私の家を襲い、部下を殺した。この争いの原因は彼女にある。彼女は私に責任があると言う。誰が正しいのか?」

    まぁ、その通りだ
    他の動画のコメントからこれを持ってきたい

    ダグラス・アダムズは言った
    「私の見解では月は岩でできている。
    しかし誰かがこう言う
    “あなたは月に行ったことがありませんよね? だから月はノルウェー産ビーバーチーズでできているという私の見解も有効です”
    この議論すらできない」

    真実は意見の影響を受けない
    森は問題か否か
    我々が介入しなければ森は死ぬ

    (※我々というのはアシタカと視聴者のこと)

    道徳はいくつかの事実に頼っていると信じられている
    生命には価値がある
    だから冷酷な殺人は間違っている
    痛みや苦しみは和らげられなければならない

    人を殺さないということに同意するならば、他人からも殺されない
    これが殺人は客観的に悪だという実用的な事実に繋がる
    我々の道徳は環境の産物であって、我々の需要と信義は正しいと思うものに影響を与えている


    明らかにエボシは森はいくらでも消費していいと信じている
    信じる必要があるから信じている
    彼女の生活と幸福、コミュニティ全体は森を消費することに依存しているから、森林伐採は道徳的な行いである
    それでも正しいか間違っているかの違いが残る

    もし本心から信じていないのなら、エボシの信じていることは道徳ではない
    単なる功利主義と部族主義だ

    これが本当かどうか確かめる術はない
    おそらくジコ坊が言っているように「人はいずれ死ぬ、遅いか早いかだけだ」なのかもしれない
    すべての偏見をなくしたら、客観的事実なんてものはないとわかる
    結局道徳は部族主義に過ぎず、規模が大きいだけの利己主義だ
    正しいかどうかは知らん
    でも間違ってるなら世界はもっといい場所になってるはずだ


    ・だから立ち位置を選ぶ

    アシタカは森を選ぶ
    エボシが間違っているから
    しかし彼は憎まない
    この争いの原因は憎しみではない

    すべての登場人物のうち一番憎しみが少ないのはジコ坊だろう
    彼は利己的で勘定高いだけだ
    そして最も悪役的でもある


    恨みを抑えるだけではこの問題は解決しないけれど、憎しみを捨てることで何が必要なのか見えてくる
    エボシは死ななくてもいい
    彼女は救われるべきだ

    何を言っても彼女は反論してくるだろうし、恩着せがましいと言ってくるかもしれない
    それでも「自分のほうがよく分かってる」と言うべきだ

    エボシはそれを憎しみだと捉えるかもしれない
    「アシタカ、なぜ私を憎む? この映画の3分の1もの時間を使って優しくしたのに。家にも連れて行った、食べ物もあげた、身内だと思っていた。なぜ味方してくれなかった?」


    何を言っても憎まれてると思うかもしれない
    でもそうじゃない
    アシタカは正しいことをしているだけだ

    ・最後に

    俺はこの教訓を『もののけ姫』から学んだか?
    わからん
    最初に見たのが何歳だったか覚えてない
    高校のときか、もっと早かったかもしれない


    いつ思いついたのかもわからない
    おそらく常に考えてた
    俺には問題のすべての面を考える癖がある
    誰かが何かを非難していたとしても、そいつが悪役とは限らない

    その手の共感はその人物を説明するものではない
    あらゆる視点で物事を考えると、見ていて混乱せずに済むよ

    困難な作業でもあるが
    自分自身にある偏見や今までに見聞きしてきたことを一旦忘れて、何が正しいか考える
    そんなことが可能なのか?
    傲慢じゃないのか?
    もし間違っていたら?
    結局何を知ることができる?

    それ自体が闘争でもある
    やってみなければわからない


    アニメオタク外人さん
    でもエボシ様が止められたら人が死ぬ
    木を切ることで人間社会が成り立ってるから
    人間社会より森林のほうが重要だというのは、自然の脅威を強要するのと同じで、定期的に死者が出て人口が制限される

    人口に対し食料が少なくなるとどうなる?
    狩りを始める
    エボシ様がいなくなるとタタラ場は無秩序になる
    両者は生存をかけて戦っている
    タタラ場より森が重要なのはなぜ?

    別の言い方をするなら、エボシ様が間違っているからといってサンが正しいということにはならない

    アニメオタク外人さん(主)
    >>2
    「人類が生き延びる唯一の方法は、すべての木を伐採することである」というのは健全な状態じゃない


    アニメオタク外人さん
    タタラ場を運営することで住人の貧困を解消させる
    女たちを買い取り、ハンセン病患者を絶望から救う
    しかし森は気にしない
    なぜなら森は女たちやハンセン病患者にとってはどうでもいいから

    エボシがタタラ場と同じくらい森を良くできるとは限らない

    アニメオタク外人さん
    5分48秒で言ってる功利主義の使い方には誤解がある
    彼は道徳的ではないと言ってるが、部族主義と並べて原始的な利己主義という意味で使っているなら、倫理的エゴイズムはれっきとした道徳的立場になる

    その後で道徳の目的を「生命のため」「苦しみを和らげる」「感覚的な幸福を求める」ためと言っている
    皮肉にもこれは彼自身が以前の動画で出した功利主義の基本的な解説だ
    この動画の哲学的アイデアはかなり無知で、薄っぺらく見当違い
    【もののけ姫をエボシ様から考察する外国人】の続きを読む

    fan

    アニメオタク外人さん(主)
    ・はじめに

    長い間アニメを見ているといろいろなことに気がつく
    そのひとつがファンサービスだ
    アニメにおけるファンサービスは、他のメディアとの違いを決定づける最もユニークな要素だと思う
    本来「ファンサービス」という言葉は「観客に迎合する」という意味で、視聴者に快い刺激を与えるだけのシーンなり展開なりを指す

    今やファンサービスのあるメディアは珍しくない
    しかしアニメの場合はそれを目的にしていると言っていいほどサービスが濃い

    どんな媒体だろうと他とは違うウリをもっているものは価値があるが、アニメのファンサービスには何の意味もない
    思うに喜んでいるのは少数の者だけだ
    その理由を説明する

    ・ファンサービスとは何か&自分の意見

    ファンサービスはオタク視聴者を喜ばせるためだけのものだ
    個人的には好きじゃない

    最初から優れているはずのアニメやキャラクターを台無しにしてる
    絵で興奮させる他のメディアがあるなら教えてくれ
    視聴者を色情狂扱いして未成年キャラを見せることを誇らしげにしてる
    これによってどういう誤解が生まれるのか説明する

    ・アニメコミュニティは本当のファンサービスを知らない

    ファンサービスのあるアニメの一部分を切り取ったミームが大量に作られた
    まずこれで誤解が生まれる
    ざわとそういうところだけを見せる偽のファンサービスもある
    でも大勢がなぜそうなったのか知らないでそのシーンだけを見るんだ
    こんなのがアリなら全部のメディアがファンサービスだらけだと言える

    ファンサービスというのは「単なる刺激として」シーンが組み込まれているものだけを指すんだ
    これが重要なポイントだ

    『トライガン』のこのシーンは悲劇的かつ面白い場面
    『学戦都市アスタリスク』のこのシーンはこれ以上ないくらいのファンサービス

    基本的には同じショットでも異なる意味がある
    これが多くのアニメや場面で混乱を巻き起こしてる
    『キルラキル』は90年代アニメに敬意を払うアニメではなく、単なるファンサービスだと分類されてる
    『僕のヒーローアカデミア』に出てくる、ただのコメディパートと思しき場面もファンサービスだと言われてる
    他にも多くの事例がある
    ユニークで素晴らしく、人の心を惹きつけるアニメにファンサービスのレッテルを貼りまくった

    ファンサービスがあるだけでこういう雰囲気になる
    レッテル貼りをしてミームで遊んでるコミュニティがあるのは分かる
    でも本当に上で挙げたアニメがファンサービスモノだと信じてる人がいるんだ
    そういうのを見るとファンサービスがコミュニティと作品そのものに与える影響を考えてしまうんだよな

    ・影響

    なぜこれを書こうと思ったのか、なぜアニメコミュニティがファンサービスを嫌ってると思うのかを説明する
    基本的にはファンサービスがあることでそのアニメに落胆したり、新規層に誤解を与えるからだ
    どんなにファンが好いていようとも、外からは変態男の趣味だと認識されニッチであり続ける
    そういう評判が出回ると今以上に業界が成長する可能性がなくなる

    親愛なる諸君は「でもスレ主、アニメは西洋で成長してるよ」と言うかもしれない
    だがそんなことには何の意味もないんだ

    大多数の女の子やおばさんが夢中になって見てるゴミTV番組の名前を10個挙げられる
    彼女らに素晴らしいアニメの名前を5つ教えようか
    おそらく1、2人はタイトルくらいは知ってるだろう

    「でもアニメは外国のものだから、大多数の人が見るようにはならないだろう」と君は言うかもしれない
    DBZはどうだ
    国際的に大流行したし今でもその影響が残ってるだろう

    DBZが西洋で成功した理由は、チャンネル、放送時間、ジャンル、ヒーロー番組の衰退などいろいろあるが、重要なのはアニメが成功したということ、そのユニークさを見せつける先駆者だったということだ
    たとえ「アメリカン」な形に吹き替えられていたとしても、日本の影響力は最後まで残っていた
    DBZは「海外製品を翻訳して国際市場で売る」成功例になった
    このステップを踏むには今のアニメには問題があると思うわけだ

    90年代後半、とくに2000年代ファンサービスアニメは、日本ブーム後に生まれたニッチ需要からお金を稼ごうというアイデアで作られた
    もちろん一部は日本やアメリカで成功した
    才能あるアニメーターもたくさんいただろうが、ほとんどは十分に稼ぐことができなかった
    だからお金のない会社はオタクたちの全財産を巻き上げることにした
    ファンサービスで満ちたアニメが次々と作られ、ストーリーは性的なファンサービスを見せる目的のものが書かれ、このシステムを壊さないための構造が出来上がった
    アニメはオタクから金を搾り取る装置になった

    すべてのアニメスタジオがこうなったわけではない(大部分だが)が、この動きは国際的に評価されているアニメに悪い影響を与えた

    この頃の業界は現在のアニメシーンの最前線だったと言える
    多くの作家、アニメーター、アーティスト、ビジネスデザインが影響を受けている
    当時は毎シーズン10~15のファンサービスアニメが放送されていた

    このニッチ文化はアニメ界を席巻した
    ほとんどのスタジオが追従したんだ
    もちろん異常なほど数が増えた
    ビジネスとしては正しいと思うし賢い選択だと思う
    アニメ文化全体のことを思うと日本の仕事文化と同様心配だが、働くというのはそういうものだからそれほど気にしない

    でもそういう環境、文化から生み出されたのが「アニメは無価値」という考え方だ
    平均的なアメリカ人視聴者にとってのアニメはニッチなゴミに過ぎない
    そんなことがあり得るのか
    オタクジャンルを扱っている企業の中ですらアニメはニッチだ
    そしてアメリカ人は何の役にも立たん(性的な二次元女子高生のアニメを5、60ドルで売り出しても人気には繋がらないという意味)

    ああそうね一般人もニッチアニメを見るさ
    見尽くして他のメディアに影響を与えるだろうね
    アニメには何の益ももたらさないが
    じゃあ解決策は?

    ・解決策

    日本がもう一度経済成長して、最低利益を出したとしても食うに困らない環境になるのが一番いい
    でもそれは起こりそうにないから別の策を挙げる
    企業がオタクから金を搾り取るという安牌ゾーンから抜け出し、それ以外の人間にアピールすることだ
    当然今はニッチ市場で食ってるわけだからリスクになる
    でもまぁこれは俺がただ思いついただけだ
    どうすれば日本が今陥っている地獄から抜け出せるのか

    たぶん俺は間違ってるし文句を言うべきじゃないんだろう
    アニメがエンターテイメントの一形態として国際的に成長するか、飽きられるまでニッチで居続けるか
    これがコミュニティとアニメに対する俺の考え

    アニメオタク外人さん
    要約:スレ主はファンサービスが嫌いで、他の人も嫌うべきだと言っている

    ファンサービスがあるからアニメはニッチだと言っているようだが、アニメは現時点でニッチとは言えない
    世界中で人気になってるし、日常的にアニメを見ている人も増え続けてる
    ファンサービスについて何か言うとすれば、そのおかげで見る人が増えてるんじゃね
    理由:Sex Sells


    あとスレ主はファンサービスを取り除き新参者に優しくすることで視聴者を増やすと言っているが、俺らの多くは西洋メディアでは描かれていないものが見たくてアニメを見てるんだ
    アニメのターゲットは非常に局所的で、慣れ親しんだ場所から出ていきたい層を狙ってる

    もしアニメが西洋メディアと同じなら俺は見なかったわ
    ファンサービスも西洋メディアにはない特徴のひとつだから、たとえ気に入らなかったとしても取り除くべきではない


    アニメオタク外人さん
    要約:スレ主はファンサービスが嫌いで、好きな奴は恥じるべきだと思っている
    俺の要約が一番近いと思う
    こいつのスピーチは「いい人になる方法」を教える道徳十字軍みたいなもんだ

    アニメオタク外人さん(主)
    俺はオタクの色欲に頼った商売が嫌いなだけ
    そのせいで国際的な視聴者から尊敬を得られていない


    ファンサービスがあるからアニメはニッチだと言っているようだが、アニメは現時点でニッチとは言えない
    適当な人に有名なアニメタイトルを知ってるか尋ねても「なにそれ」としか返ってこない
    誰も見ていないようなTV番組すら知ってるのに
    アニメの視聴者が増えていたとしても依然としてニッチだ
    ファンサービスに人が集まるのかもしれないが、記憶には残らないしオタクっぽいという汚名になってる

    本当にsex sellsは価値があるのか?
    映画、ドラマ、文学全部に損失を与えてるようにしか思えん
    『フィフティ・シェイズ』はヒットしたが人々の記憶には残らずメディアからはゴミ認定された
    そのおかげで記憶には残ったか
    いい意味ではないが

    業界全部がそう思われてるのがアニメだ
    いい作品があったとしても自慰の材料にしか思われてない

    あとスレ主はファンサービスを取り除き新参者に優しくすることで視聴者を増やすと言っているが、俺らの多くは西洋メディアでは描かれていないものが見たくてアニメを見てるんだ
    それはいいが、そのせいで供給が止まったらどうするんだ
    今よりもファンサービスを減らして全体の印象を良くし、その金でクオリティの高いファンサービスを見たほうが楽しめると思わないか
    完全に取り除けとは言ってない
    アニメと言えばエッチが売りとなってる現状を変えようと言ってる

    >もしアニメが西洋メディアと同じなら俺は見なかったわ
    アニメで一番評価されてる部分がファンサービスなのがダメなんだよ
    日本文学の独自性とかならいい
    ファンサービスはアニメの負の側面であり、これが全面に押し出されているメディアには価値がない
    つまり「お姉ちゃんとヤりたいNo.9」には価値がない

    アニメオタク外人さん
    >>4
    お前の論が間違っている面白い証拠として、化物語はブルーレイ販売の記録を持ってるというのがある

    【なぜアニメコミュニティの大部分がファンサービスを理解できないのか】の続きを読む

    NO4

    アニメオタク外人さん
    >農法を教える
    なんで異世界モノはこうなんだ?
    エジプト人は紀元前6000年から農業をしてた
    こいつらが原始人でもない限り、スマホを持ってるだけの平均的な日本人高校生よりも農業に詳しいだろ


    アニメオタク外人さん
    >農法を教える
    革新的な施肥や灌漑方法、高度な畜産学のような大規模な発展に繋がる技術は教えない

    アニメオタク外人さん
    >>2
    社会科の授業を熱心に聞いてる奴なんて皆無だった
    異世界モノのおかげで今やみんなが輪作を知ってる

    アニメオタク外人さん
    >ハーバー・ボッシュ法とシンガス精製技術を教える異世界主人公
    これが賢い高校生

    アニメオタク外人さん
    現代出身の主人公は未開の新世界に高度な技術を教えなければならない
    主人公はニート、高校生、サラリーマンなので、普段使っている最新技術の仕組みを知らない
    実際の最新技術を動作させるには数百人の手が、より高性能なものが欲しければ数千人の手が必要
    1人で作れる「すごーい」技術の多くは、古代ギリシア人やエジプト人が作ったもの
    現代技術の多くが危険な環境で作られていたり、繊細なことに対しての言及なし

    そしてこれが現代技術の知識が描かれない理由でもある
    ベストを尽くして火薬武器や有刺鉄線、鋼加工(青銅器時代)を
    専門知識を持っていればマシンガン、現代医療くらいなら教えられるだろうが、大抵の場合はチートか「はいできた」で完成
    【アニメ『百錬の覇王と聖約の戦乙女』を見て異世界モノについて考える外国人たち】の続きを読む



    アニメオタク外人さん(主)
    このエッセイはアニメ板に文章コンテンツを増やそうという試みの一環です
    自分でも書きたいという人はこちらに連絡してください
    もちろん、批判や議論はいつでもウェルカム
    内容はシリーズ全体のネタバレになっています
    動画バージョンもあります
    (※上に貼ってあります)

    ・はじめに

    筆者はこのシリーズのすべてを10点満点中10点と評価している
    この評価は多くの西尾維新ファンにとっても受け入れがたいようだ
    「偽物語はファンサービス目的で作られたものでクオリティが低い」
    「まよいヘルは明らかに説明回」
    「しのぶタイムは平凡」
    こうした多数派の意見に同意しないというだけで驚く人もいるかもしれない

    しかし、シリーズのすべてを見たうえで物語全体の構造を見渡してみると、プロット、キャラクター、視聴者に訴えかける方法に至るまで、各話がそれぞれ補完し合う関係になっていることがわかる

    この一風変わった手法によって、物語全体をどうまとめ上げているのか

    このアニメを見た人に起こる共通の現象は、回が進むごとに面白さが増していくということ
    これは、このフランチャイズが作品を場額続けるにあたって用いている手法に原因がある
    つまり情報を小出しにしたり、自己言及、すべてが明らかになったときにようやく意味がわかる要素などだ

    この作品は視聴者に対し一貫して嘘をついている
    各話のナレーターが主観によって物語るので、重要なイベントは各キャラクターで異なる意味合いを持つ
    この放任主義的(レッセフェール)な話法を採用することで、他のアニメでは味わえないユニークな体験が可能になり、真相の発見(アナグノリシス)的、あるいはアハ体験的な多くの瞬間を作り出している

    物語シリーズでは意図的に時系列を変えていたり、情報をわかりにくくしていますが、これは視聴を邪魔する意味ではなくキャラクターの性格を強調する効果がある

    このことについて重要な例を2、3挙げ、なぜ10点満点なのか説明していく

    ・気づきの喜び

    アナグノリシスというのは、キャラクターが何らかの啓示を受ける瞬間を指すギリシャ語だ
    『シャーロック・ホームズ』や『Dr.HOUSE』を思い浮かべるかもしれないが、推理モノだけを指す言葉ではない
    キャラクターは他の登場人物との関係や、自分が置かれている状況、敵について鋭い洞察をするかもしれない
    簡単に言うと、
    アナグノリシスは無知から有知への移行
    気づきの瞬間のことを言う
    もっとわかりやすい例は「ユリイカ!」

    物語シリーズはこの瞬間に満ちている
    興味深いのは、この瞬間がキャラクターと視聴者の同時に来るということ
    こういう作品を作る方法は、暗示的看過法(パラレプシス)に控えめな表現を組み合わせるなど無数のやり方がある
    パラプレシスというのは、言うつもりのない事柄をわざと強調する修辞技法で、化物語では主にこの技法が使われている

    例えば忍
    最初に登場した時、彼女は謎の雰囲気に包まれている
    戦場ヶ原は「あの子は一体なに」と尋ねる
    阿良々木は「ああ、あれは気にしなくてもいいよ。影も形もない、名前もなければ存在もない、そういう子供」と答える

    sino2

    これは好奇心を高める効果があり、俺自身も「...what?」となった
    化物語での忍は終始こういう扱いで、忍のことは気にするな、という作劇の仕方になっている
    視聴者が知っているのは「前に阿良々木と関係があったらしい」ということだけで、つばさキャットのヤマ場に向けての作りになっている

    物語シリーズに漂う陰謀の雰囲気は、こうした時系列の前後によって生み出されている
    物語を見れば見るだけ存在が不明瞭になっていく忍
    西尾維新は「傷物語から読んでもいい」と言ったそうだが、それではこの効果は得られない
    化物語を見たあとで傷物語を見ることで、忍というキャラクターを深く理解できるし、昔の姿にショックを受けるだろう

    傷物語を見ることで、我々は忍と阿良々木の重要な過去を知ることができる
    文脈がはっきりし、彼女の行動原理がわかるようになる
    忍は阿良々木を人間にしてやれなかったことに憤り、阿良々木の行動により共に苦しむ結果になった
    それでもなお忍は感謝の気持ちを忘れておらず、それが過剰なまでの防護に繋がっている

    傷物語をシリーズの導入として見てしまうと、忍の裏にある謎やニュアンスが分かってしまう
    彼らがどこに位置しているのか考える機会を失ってしまう
    ある意味これは「have its cake and eat it too(※ケーキを持っても食べてもいい。諺にケーキを食べたら持っていることはできないというものがある。矛盾したことを同時に行うのは無理だという意味)」という面白いメタ要素で、視聴者にメディアの見方と
    アナグノリシスの価値を教えているのかもしれない

    作中の年表は1度だけの舞台装置として使われるのではなく、イベントの重要性を高める要素として常に効果を発揮している
    簡単に言えば、物語にとって重要な出来事だろうと、キャラクタが実際に言ったことだろうと額面通りに受け取ってはならない

    貝木泥舟はひたぎエンドのラストで死ぬ
    撫子は忍と話すまでは単なる放置された萌えキャラだった
    忍はつばさキャットまで何の関係もなかった
    真宵はまよいキョンシーまでコメディパート専用キャラだと思われていた


    そして視聴者と阿良々木は同時に
    アナグノリシスの大洪水に巻き込まれるので、主人公とシンクロしたような奇妙な感覚に陥る
    要するに「俺(阿良々木)は彼女たちにとってそんなに重要なのか?」

    ここまで紹介してきたアナグノリシス以外にも、時系列順に見ていたら気づけないものもある
    最初に傷物語を見ることに賛成する議論がある
    そうでなければ羽川が不利だという論だ
    逆に自分は放送順で見るからこそ成長がはっきり感じられると信じている
    化物語では博識キャラとして型にはめられているが、心の中に秘密も抱えている

    この時点で視聴者は不安定な羽川翼を見ることになる
    彼女は「知っていることだけを知っている」と言う良い子ぶったクラス委員長であり、ストレスの擬人化であるブラック羽川でもあるが、化物語だけを見ている視聴者はこの二項対立を完全には理解できない

    化物語のあとに傷物語を見ることで、羽川翼という人格のもう半分を知ることができる
    彼女の本音や阿良々木に崇拝されている理由もわかる

    偽物語は阿良々木の正義感に焦点を当てているが、トラブルのひとつは羽川の失敗が原因になっている
    そこで我々は彼女の欠点に気づき、その後猫物語(黒)、つばさタイガーと見ていくことで不快な側面を知ることになる
    放送順で見るからこそ羽川の両極端な部分をバランスよく見られ、最終的につばさファミリーを見て安堵できるのだ

    時系列順に傷物語から猫物語(黒)に見るというのは、このエッセイの「はじめに」を読まないのと同じ
    スレッドの前提を見逃すということ

    メタ的視点に戻ると、この構造こそが羽川翼の本質を知るための道だと思うし、それでこそ阿良々木が感じたのと同じ不快感を抱けると思う
    このシリーズは大半の部分が彼の視点から語られることを考えても、なるべく彼と感覚を共有したほうが楽しめる

    ara2

    ・決定的証拠

    ここで言っていることは基本的に、物語シリーズの面白さは徐々に情報が明らかになっていくところにあるということ
    猫物語(黒)は化物語の焼き増しだとしばしば批判されているが、当時は映画が見られなかったことを忘れている
    俺はこの繰り返しこそが羽川の不快な問題を強調していると思う
    それに猫物語(黒)の価値は傷物語が公開されたことで増した
    こういうパターンはシリーズ全体を通してよくあることだ

    例えば猫物語(黒)では、さかのぼって前後関係が補完されたことで良くなった
    他の場合は文脈自体を追加しただけで良くなった例もある
    さて、良いか悪いかに関わらず、ここで偽物語を例に挙げることで
    「偽物語はファンサービス目的で作られたものでクオリティが低い」への反論にしたいと思う

    このシリーズが「正義と偽善」をテーマにしていることが端的に示されてる部分だと思う
    そしてファンサービス自体が主題になった瞬間、それはファンサービスではなくなるというのが俺の思想


    個人的な解釈を言うと、いろいろ言われていようが偽物語はそういうのを超えた何かを表してると信じてる
    伏線と設定に関する何かを


    「チェーホフの銃」の発案者アントン・チェーホフはこの概念を守り「ストーリーに関係のないものはすべて消す」と言った

    「最初の章で壁にライフルがかかっていたら、2章か3章で使われなければならない、使われないのならかかっているべきではない」と

    西尾維新はこんな制限を気にせず物語全部をチェーホフの銃にしたり、ミスリード用にしたりする
    偽物語にはいくつかの「銃」も出てくる
    ・撫子が阿良々木を誘惑する(なでこメドゥーサで発砲)
    ・真宵が消える(しのぶタイムで発砲)
    ・戦場ヶ原と貝木のほのめかし(ひたぎエンドで発砲)
    ・阿良々木自身への問いかけでもあったファイヤーシスターズの偽物の正義(そだちロストで発砲)

    しかしなんといっても一番重要なのは忍の風呂シーンだろう
    偽物語4話の半分以上の時間を使って描かれた風呂シーン
    ここでの会話はシリーズの後半にまで影響を残している
    この回から物語シリーズを見た人ですら重要だとわかる会話だ

    これは視聴者にとってはじめて生の忍を見る瞬間であり、簡単な会話から阿良々木との関係に至るまで多くの情報が明らかになる
    改めて見返してみると、このシーンが物語シリーズの過去、現在、未来すべてに関係していることに気づく

    傷物語と照らし合わせれば、過去に起こった出来事、阿良々木の過ちを思い出させる
    現在と照らし合わせるなら、阿良々木はそのとき必要だった知識を得、火憐の苦しみを和らげることができた
    最後に世界全体と照らし合わせると、このエピソードは二人の関係のマイルストーンになってる
    古い言葉で言うなら「どこに行ったか知るまではどこに行くのかわからない」だ


    このシーンでは彼らの関係性が描かれている
    彼らはその関係を受け入れている
    言い訳は無用だと
    阿良々木が忍を殺さない限り許しはない
    この地点を基準とすることで、忍の感情がどれだけ近づいたかがはっきりわかる
    しのぶメイルを見よ

    阿良々木はおうぎダークで偽で出てきた感情と再び対峙して忍との契約を続行する

    つまり何が言いたいかというと、偽物語は重要だったということだ
    それ自体で優れていることは当然だが、他のシリーズより興味深いテーマがあり、影響も広く複雑なキャラクターが描かれている
    全体を通してみるとさらに価値が増し、どれだけ必要なエピソードだったか気づき始める
    必要性に答えているだけではなく、その中でいかに輝いているか評価せざるを得なくなる

    さらに偽物語で描かれた阿良々木の吸血鬼性は憑物語への伏線になっている

    憑物語も批判されているが、これも必要悪として見るべき
    舞台設定の中から出てくる細々とした情報は、阿良々木の不安と疑問、チェーホフの銃の引き金を引く手折正弦、終物語シーズン2を予期していた斧乃木余接

    onono

    ・The Complete Package

    「全体を通して価値が増す」とはどういう意味か?
    一番簡単な例はバーバーショップ・カルテット
    単独の音色も美しいが、一斉に歌い声を重ねることで「ゴースト」の音色が現れる
    その結果個々の誰よりも美しい声になる

    ここまで評価してきたのは物語シリーズがいかに折り重なっているかであって、肝心のアニメ部分を無視してしまった
    物語シリーズが「
    全体を通して価値が増す」ものであることを説明するために、リヒャルト・ワーグナーの「gesamtkunstwerk(※総合芸術)」を使おうと思う
    ワーグナーはドイツの作曲家、オペラ作家だ
    オペラと聞いてほとんどの人が思い出すのはあの独特の歌唱法で、他の芸術形式とは無関係だと思うだろう
    ワーグナーは違う

    ウェズリアン大学のSophia Dumaineはgesamtkunstwerkの概念を要約して、ワーグナーの理論は「音楽、ビジュアルアート、ドラマ、あらゆる形式が全部が入っているものが一番優れている」というものだと言った
    さすがに物語シリーズをワーグナーと比較するのはどうかと思うが、gesamtkunstwerkには含まれると思う

    オペラがリブレット(台本)以上のものであるよう、アニメはプロット以上のものだ
    実際まよいヘルは解説が多い
    八九寺に興味がない人にとっては退屈だろう
    だが待ってくれ
    美しいじゃないか

    まよいヘルは打ちのめされた阿良々木が真宵の力で蘇る話であり、今まで彼がしてきた旅が反映されてる
    見て分かる通りここで使われてる技法は過去のシーンを思い起こさせるもの
    もちろん、ED以外の部分でウエダハジメの素晴らしい芸術が使われたはじめてのシーンだった

    ED

    これは物語シリーズにとっては特別なものではない
    シャフトは常に新しいスタイルに挑戦していた
    しのぶメイルにはキスショットの過去について長い長い回想があるが、紺野大樹の美しい絵巻で表現している
    傷物語にはこれまで作られたアニメの中で最も印象的なビジュアルが含まれている
    ついにアニメはライトノベルを読むだけでは得られない体験ができる媒体になった


    物語シリーズの優れたディテールは本編以外の部分にも現れている
    このTOP OPリストを見ると物語シリーズのものが複数入っている
    このアニメではテーマになっているキャラの特徴をOPに組み込んでいる
    とくに恋愛サーキュレーションはミームとして大人気になった(良い理由で)
    だが個人的にはもうそうえくすぷれすと一緒に聴くことが最大限の表敬だと思う


    なぜなら恋愛サーキュレーションが撫子の無邪気な側面を表している一方で、もうそうえくすぷれすでは教育の失敗、メドゥーサでの結末を暗示しているからだ
    物語シリーズのOPでどれが「ベスト」なのか議論になる時点で、シャフトが心血注いで作り上げた傑作だということがわかる

    ・結論

    進化生物学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは「進化の光を考えない生物学は意味がない」と言った
    俺にとっての物語シリーズは全体の光を考えなかったら意味がない
    セカンドシーズンが満点なら傷物語、猫物語(黒)、化物語、偽物語を無視できない
    OPの出来も無視できない
    信じないなら白金ディスコとBird of Deathを聴き比べるといい
    staple stapleとSenjougahara Toreを
    帰り道とParting Gift、happy biteを聴け

    暦物語をスキップしてはならない
    繋ぎじゃない
    実際、繋ぎじゃない

    物語シリーズは全体を通して見るべき作品であり、別々に分解して評価を下すことはできない
    このアニメは我々にパーツを渡してくれる
    パズルのピースが箱にはまるのか一緒に確かめよう

    それには箱が必要だ

    終物語セカンドシーズンが終わったにも関わらず、謎が残された
    忍野を探す旅に出た羽川に何が起こったのか?
    阿良々木はどうして花物語であんなだったのか?
    なぜそこまで老倉育を気にかけるのか?


    もう疲れたから適当になってるよ
    でも最後の質問の答えは思ったより早く来そうだ
    老倉育は続・終物語のポスターの子
    やっぱり物語シリーズは俺にとってのgesamtkunstwerkだわ
    そしてここまで読んでくれた人にはその意味が伝わっていてほしい


    参考文献(※一部)

    Gesamtkunstwek - Wikipedia

    Ringing Chords - Wikipedia

    Synthesis of the Arts in the Romantic Period: European Painting, Poetry, Music

    Wagner’s Art and Revolution

    Wagner’s The Art-Work of the Future

    Richard Wagner's Concept of the 'Gesamtkunstwek': Interlude.h


    アニメオタク外人さん
    みんなは有名なシーンがある化物語12話がお気に入りだって言うが、自分はこの場面が好きだ
    当時は無意味だった発言が終物語で意味を持った
    (※もともと得意だった数学もいつもより点数が伸びた)
    bake

    偽物語はファンサービス目的で作られたものでクオリティが低い
    まぁ、間違ってはいない
    偽物語も面白いかもしれない
    しかしシリーズにある他の話よりも面白いと言うのは難しい
    確かに伏線があったりして興味深いけど、あまりに多すぎて一見無意味に思える

    ファンサービスが少なかったらもっと評価されていた
    ファンサービスが悪いと言っているわけじゃない
    あったほうが良くなる話もあれば、ないほうがいい話もある
    俺は猫物語(黒)が好きで、批判されてる理由はまったく分からない
    翼は素晴らしい


    全体的な部分では筆者の意見に同意
    物語シリーズの良いところはいろいろな要素がブレンドされて欠点のないアニメになっていることだ
    映像技法、サウンドトラック、ストーリー、声優、一部は目立っていても全体はちぐはぐだという印象のアニメは多い
    これが物語シリーズでは共存していて、視聴者の体験を良質なものにしてる
    自分がこのアニメを愛している理由が再確認できた(傷物語、化物語、セカンドシーズン、終物語1に10点をつけてる)
    続・終物語まで待てないからもう一度見直す


    アニメオタク外人さん(主)
    >>2
    自分は偽物語で描かれるセクシュアリティの探求を敬愛してる
    誰でも気がつく一番性的なシーンは忍の風呂で、あの悪名高い歯ブラシと撫子のシーン(性的なことはしていないのにエッチな)との対比になってる

    服を来ていないとか、胸が大きいとかいう要素ではなく、セクシュアリティには文脈が重要なんだということを描いてる
    だから俺にとってファンサービスのない偽物語は評価が下がる
    憑物語を擁護するほうが難しいな

    このシリーズを見て一番心に残るであろう化物語と比較して、偽物語で雰囲気が変わったってことには同意
    火憐の話に7話使ってるのに驚いた
    後々になって貝木を印象づけるのに必要な話数だったとわかった

    アニメオタク外人さん
    >偽や憑でさえ
    この偽物語と憑物語が劣ってるって考え方嫌い
    両方ともシリーズにとって重要な出来事を扱ってるし、物語が大きく展開しキャラクターにも深みが生まれてる

    かれんビーとつきひフェニックスはシリーズの中でお気に入りTOP2に入るわ
    憑物語を入れるとTO3が埋まる
    かれんビーの入浴シーンは、後に起こる大きな事件のチラ見せになってる
    化物語以降初のダークな色調を持った話でもある

    阿良々木が未だに吸血鬼性を残していて、愛する者が皆死に絶えても忍とともに生きていくであろうことが明らかになる
    この情報はデカい
    明確に「阿良々木暦は人間ではない」と示された初のシーンだからだ
    俺らが知ってたのは彼が普通の生活に戻ろうとしてたってこと
    でも実際は人間じゃなかった
    忍野は嘘をついていたor誤解させた

    つきひフェニックスでの影縫余弦と阿良々木の会話は重要だ
    偽物についての話
    彼女は忍野と貝木を知っていた
    そして忍野と同じように阿良々木を人間扱いしていた
    言うまでもなく、忍がキスショット化する最初の章でもある

    憑物語のよつぎドール
    これは素晴らしい
    この章にどれだけ感動したことか

    憑物語は阿良々木と忍の関係が変わる話だ
    吸血鬼化を止める方法がないことが彼に伝えられる
    もし本物の吸血鬼になってしまったら、影縫と斧乃木は彼を殺さなければならない
    何度も何度も吸血鬼の力に頼っていると最終的には友人すら手にかけるはめになる
    力を使うな、と影縫は忠告する

    しかし阿良々木はいざそのときになれば問答無用で力を使う
    この時点で彼が怪異にどう対処するかが決まる
    シリーズの中で最大のイベントのひとつだ

    だからこの章が「劣っている」と言ってる奴は知らん
    あと「後々補完される」とか「全体を通して」とかも気に入らん
    なぜならこの話は他のどの部分より重要だからだ

    「物語シリーズは好きだけど偽物語と憑物語はよくない」と言ってる奴はなんでこのアニメが好きなのか考え直したほうがいい
    そしてなぜこのふたつが重要なのか考えろ
    主要人物の話はすべて偽で始まってる
    歯車が動き始め大きな物語が動き出すのも偽からだ
    つまり偽が気に入らんということは全部気に入らんということ

    これが憑と偽が劣ってると言ってる人に対する俺の考え
    動画を見終わる前に書いちまったね

    そうだ、一番好きなOPは八九寺の帰り道
    映っている人物は全員八九寺だ
    これは10年間一人きりでいた彼女の心境を表してると思う
    驚くほど的を射た表現だ


    アニメオタク外人さん
    全部が満点だとは思わんが全部を見た後面白さが増すってのは同意
    面白い分析だった
    【外国人「物語シリーズは全部が満点、偽物語と憑物語でさえ満点」】の続きを読む

    PSYCHO-PASS

    アニメオタク外人さん
    PSYCHO-PASSを見直して懐かしいと感じる奴いる?

    アニメオタク外人さん
    狡噛の映画っていつだっけ?

    アニメオタク外人さん
    1期はよかったんだけどね
    1期だけなら脳内友達にも勧められる


    アニメオタク外人さん
    >>3
    2期は重罪ものだったな


    アニメオタク外人さん
    >>4
    いや同意できない

    【外国人「PSYCHO-PASSを見直したらノスタルジックな気分になった」】の続きを読む

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