外人速報

アニメ、ゲーム、マンガ、バーチャルYouTuber、仮想通貨などに対する海外の反応をお届けします

    タグ:海外の反応

    int

    オタク外人さん
    シロと同じことをしてる

    オタク外人さん
    委員長のモデルをあと40%大きくしてほしい

    オタク外人さん
    >>2
    これが等身大美兎モデルだ


    オタク外人さん
    >>3
    違う
    実際に起こってるのはこうだ
    本当はスタジオにいる他の人たちと同じ背丈のモデルを作りたかった
    他出演者は座っている
    美兎を立たせることで高さを揃えようとした
    それで小さく見えてる

    オタク外人さん
    mito5
    【夏休みのVtuber配信ラッシュ、追うのが玄人】の続きを読む


    8:01からです。

    オタク外人さん
    アイちゃんが取り上げられてうれしい🙂
    ここからグローバルに展開していってほしい


    オタク外人さん
    この時が来たか

    オタク外人さん
    SENPAIが彼女に気づいた

    オタク外人さん
    no no nO NO
    ありえないぜお前ら
    アイちゃんがPDPとコラボしたらYUAは絶対に追いつけない
    震えてるんだが

    オタク外人さん
    Peediepieとキズナアイコラボを確認した 【PewDiePieに取り上げられたキズナアイ】の続きを読む

    アニメオタク外人さん(主)
    2008年、戦争映画『ハート・ロッカー』がオスカーを獲得した
    爆弾処理班がスリルを追い求める様を描いた作品で、映画的には大成功だったといえる
    しかし、軍事関係者や専門家からは批判された
    批判の内容は主に「実際の爆弾処理とは違っている」というもので、これはフィクションにとっては一般的なものだ
    その道に携わっている人から見て納得のいくストーリーを作るのは大変な作業だ

    もちろん、アニメにも同じことが言える
    多くの人がアニメを見て「実際とは違う」と思った経験があると思う
    コンテンツの特徴を掴みきれておらず、そのせいで少し不快に感じてしまう

    とある作品は、実際とは違う描かれ方をしているにもかかわらず秀逸に表現されている
    そう、タイトルで挙げているよう『Free!』のことだ

    水泳とともに成長してきた私は、このアニメに出会ったとき興奮した
    視聴し実際の水泳とは違う点に気づいたけれど、それでも素晴らしい作品に仕上がっていると思った
    今回は水泳について、アニメでは描かれていないこと、描かれていないのに素晴らしいと思う理由を説明したいと思う

    注意点:まだ3期は見ていないので3期を含まない解説です

    ・リレー引き継ぎ

    Free!に欠かせない要素がメドレーリレーなので、必然的に引き継ぎも関係してくる
    引き継ぎは次の泳者にバトンタッチすることだ
    リレーとは選手それぞれの力を合わせるものなので、チームメイト全員が協力する場面を描く必要がある
    それで引き継ぎが重要になってくる

    2008年のオリンピック
    マイケル・フェルプスが史上初の8冠に手をかけていた
    ところがアメリカは4x100mリレーでフランスに遅れをとる
    フランスのアンカーは世界記録保持者のアラン・ベルナール
    彼に泳がれると負ける、と思われた

    しかし、ここでアメリカのアンカージェイソン・レザックが驚異的な追い上げをみせる
    彼はそのとき自己ベストタイムより1.52秒も早く泳ぎ、逆転勝利を決めた
    暇な時間が5分でもあるならこのレースを見てほしい
    物凄く価値がある試合だった
    レザックのスピードは脅威的だが、ほとんどの選手はリレーのときベストタイムより0.5~0.8秒早くなる傾向がある


    なぜリレーだと速く泳げるのか?
    通常のスタートとは違い、リレーの場合はスタートを待つ必要がない
    つまりチームメイトが壁に触れる直前からスタート動作に入ることができる
    ここに例がある




    この動きが力強いスタートを可能にし、後の泳ぎすべてに影響を与える
    だが『Free!』では描かれていない
    作中の引き継ぎは全部普通のスタートと同じで、重要な効果を見逃してる
    リレーの引き継ぎはタイム短縮にも役立つが、それを教えることで選手に良い効果を与えることもできる
    とくに成長期の選手に教えタイムを縮められれば自信に繋がる

    引き継ぎは練習をすることで大きな利益を得られる

    効果が現れないことに苦しむこともある

    シリーズの文脈に沿った形で引き継ぎのエピソードを作ることは理にかなってる
    登場人物は毎日練習しているけれど、全部を描くわけにはいかない
    引き継ぎにフォーカスしてチームとしてどう泳ぐか描けば印象深い話になる
    現実的である必要はない

    『Free!』で描かれる引き継ぎは、チームワークを深める効果として使われる
    素晴らしい
    リレーのチームワークは他のスポーツほど目立たないかもしれないが、仲間意識は必要不可欠だしリレー回の出来も満足のいくものだった
    この仲間意識はシリーズ全体に残ってる

    ・泳いでいるときの気持ち

    水泳選手の中で議論されてることのひとつ
    「泳いでるとき何を考えてる?」
    人それぞれ違うが、だいたい3つのグループに分けられる

    技術者タイプ:身体の動かし方を考えている
    音楽家タイプ:自分のペースを保つための曲を脳内再生してる そして「ゾーン※極限まで集中力が高まり、苦痛がなくなり、かつリラックスしている状態)
    スイマータイプ:すべてをシャットアウトして泳ぐのみ

    自分はスイマータイプだと思う
    完全に同じというわけではないけれど、『Free!』で表現されてるものにかなり近い
    泳いでいる最中、キャラクターの思考がいろいろな表現で描かれる
    綺麗な風景や海の生き物(キャラクターに関連付けられている要素)が多い

    umi

    こういうシーンに出てくるキャラはかなりリラックスしているようだ
    ゾーンに入っているという興味深いシーン
    自分の経験や他の人に聞いたことを踏まえて考えると、現実の「ゾーン」はこういうふうにはならない
    ゾーンの最中であっても緊張しているのが普通だ
    レースではなく日常的な水泳での感覚を思い起こさせる

    自分の経験では気晴らしに泳いでいるときや、練習終わりのクールダウンを思わせる
    でもこのアニメは自分の泳ぎ方で泳ぐことが本当の喜びだというところに注力してるから、この描写には意味がある
    これはレース中の感覚を示すものではない
    キャラが水泳に抱いている感覚を示すものだ
    これはかなり上手いと思う


    ・バタフライ

    言うまでもなくバタフライを学ぶのが一番難しい
    力の入れ方、柔軟性、絶妙な動き、持久力、選手への要求が多い泳ぎ方だ
    竜ヶ崎怜が最初に覚える泳法でもある

    陸上部にいたという背景を考えると、彼に合った泳ぎ方だと思うかもしれない
    それはそうだが、バタフライは短い時間で覚えられるものではない
    経験から言うと一番初心者に向いているのは背泳ぎだ
    バタフライの動きの細かさと身体にかかる負荷は初心者向きとはいえない

    怜はよくギャグ要員になるが、バタフライの才能と他の泳法に苦戦している姿を比べると他のシーンを真面目に見るのが難しくなる
    単なるギャグとして終わるならよかった
    でも基本的な泳ぎ方が苦手だという要素はずっと彼について回る

    他の泳ぎは苦手だがバタフライは上手いという人はいる
    バタフライ以外泳げないというのはかなりおかしい


    しかしこれはアニメの重要なテーマの中でかなりうまく機能する
    怜が遙から得たアイデアは、自分の泳ぎ方で泳ぐべきであり他の人に倣う必要はないということだ
    他の人は全員自分の泳ぎ方に特化しているから、
    怜が自分の泳ぎであるバタフライに特化しているのは理にかなってる

    しかも彼は動きの優雅さにこだわっている
    まさしくバタフライに必須の考え方だ
    でもまぁバタフライは死ぬほど疲れる
    怜が平気そうな顔してるのはアニメの魔法だと思う

    ・結論

    それで、ここから何を得られるか?
    まぁ、それはフィクションに何を期待しているかによる
    いろいろな理由でストーリーが存在し、多くの場合ストーリーは現実主義と衝突する
    完璧に現実に沿った内容は確かに凄いが、作品のメッセージやエンタメ性、展開方法に影響を与える
    物語の何を重要視するのかは人それぞれだ
    上で挙げた『Free!
    』の問題点を無視しても構わないが、他の作品の問題点は気になるかもしれない


    『Free!』で改善できる部分は、描写しにくい、できない種類のものではないと思う
    リレーの引き継ぎを過度に強調しなくてもいいが、描くことで一般的なテクニックを知る機会になったと思うし、見てみたかった
    現実的な水泳を描く代わりに作品のテーマをうまく描いていたから気にならないが

    『Free!』の重要な要素がふたつある
    上で挙げたことだ
    まず自由に泳ぎたいという遙の夢
    これは文字通りの意味ではなくて、自分のやりたいようにやるという一般的な欲求のことだ
    この考え方は回が進むにつれ登場人物全員に影響を与える

    怜はすぐにバタフライを習得し、他の泳ぎ方は全部失敗する
    これは現実的ではないかもしれない
    彼は遙から学び、自分のやり方を貫いているだけだ


    第二に、チームメイト、ライバル、友人の繋がり
    関係は絶えず変化する
    関係性の変化にリレーの引き継ぎなどを使い、どう変わったのかを水泳の抽象的な表現で見せる技は作劇の観点から見て非常に意味がある


    今回挙げたものはすべて普通とは違う視点から来るものだ
    純粋な水泳を扱う作品として見ると問題点が多くある
    もちろん、見るかどうか決めるのは人それぞれ
    創造性は自由に発揮されるべきだし、没入感を損なうと判断する要素は人によって違う


    でもぜひ『Free!』を見てほしい
    自分の情熱を追求する人たちのアニメで、そのストーリーを伝えるために水泳を使っていると考えればこんな問題は気にならない


    アニメオタク外人さん
    自分も10年以上水泳をやってきた(大会にも出た)から面白く読めた
    自分の視点も書こうと思う

    ちょっとした背景:
    最初にFree!を見たのは2~3年前
    水泳の練習中女の子たちがずっとその話をしてるから興味を持った
    当時は非現実的な要素が嫌で見るのをやめたが、2ヶ月前に全部見た
    そして今は3期を見てる


    アメリカのアンカージェイソン・レザックが驚異的な追い上げをみせる
    このレースは今まで見た中で最も印象的だった
    4年前水泳キャンプでギャレット・ウェバーゲール(そのリレーに出てた人)がレースについて語ってくれた
    レザックは絶対に勝てない試合に勝った、と彼は言った

    この動きが力強いスタートを可能にし、後の泳ぎすべてに影響を与える
    これは自分も思った
    リレーのタイムが問題になったとき触れるかと思った
    触れてほしかった

    >泳いでるときの気持ち
    同意
    このシーンは試合中の感情を描いたものじゃない


    怜はよくギャグ要員になるが、バタフライの才能と他の泳法に苦戦している姿を比べると他のシーンを真面目に見るのが難しくなる
    これが最初見るのをやめた理由だった
    でも今はSoL(Slice of Life
    )アニメがお気に入りだから平気
    自分もテーマによく合ってると思う

    >でもまぁバタフライは死ぬほど疲れる
    今までで自分がやったことの中で一番バカだなと思うのはバッタで1マイル泳いだこと

    完璧に現実に沿った内容は確かに凄いが、作品のメッセージやエンタメ性、展開方法に影響を与える
    『響け! ユーフォニアム』が好きな理由がこれだ
    晴香と久美子両方が、何をするのか、どうするのか学んでいくところが『Free!』と似てる
    どっちが現実的かと言ったらユーフォニアムだと思う
    水泳は長くやってる、バンドは昔ちょっとやってただけなのに、ユーフォを見てるとあの頃に戻ったような気持ちになる
    『Free!』はそこまでじゃなかった(面白くないという意味ではない)

    アニメオタク外人さん(主)
    >>2
    >このレースは今まで見た中で最も印象的だった
    未だに毎年何回も見てる
    このときのレザックの記録は歴史上のどの100mラップタイムより0.6秒早い
    実力者の試合でこのタイム差はかなり狂ってる


    リレーのタイムが問題になったとき触れるかと思った
    同じ
    その話をはじめたとき技術面に触れるのかと思ってワクワクした
    結局触れなかったけどよく出来てた


    アニメオタク外人さん
    特定のスポーツ、ゲーム、キャリアをテーマにしたアニメは経験者、非経験者で見方が変わるのかずっと気になってた
    そして自分が経験者だと言える分野のアニメは見たことがない
    面白い分析をありがとう

    アニメオタク外人さん
    京アニ作品、とくに『Free!』に限って言えば確実に専門家の意見を聞いて作ってる
    京アニは視聴者の期待を超えるため努力している

    専門的な表現は不要と判断したんだと思う
    だから専門性を高めることでよりよくなるかは疑問
    【水泳をやっている外国人から見たアニメ『Free!』】の続きを読む


    オタク外人さん
    4chanバーチャルYouTuberコンペ
    基本的なルール
    1)女性キャラでなければならない
    2)デザインは過激すぎてはいけない
    3)4chanのロゴを入れ、それが目立っていなければならない
    4)オリジナルキャラでなければならない
    5)4chanが営利目的で使用することに同意すること
    6)画像は2048 x 2048、5MB以下、JPG、PNG形式でお願いします


    このスレッドはデザインコンテストについて話し合う場です
    画像を送りたい方はこちらからどうぞ!
    https://www.4chan.org/banner-contest

    オタク外人さん
    あなたは誰ですか?

    オタク外人さん
    彼は……「The Manager」

    オタク外人さん
    なぜ先にサイトを改善しない?

    オタク外人さん
    これ公式的な投稿なん?
    誰かが4chanを騙ってタダでデザインを盗もうとしてる?
    区別がつかん

    【ひろゆきが4chanVtuberを作るかもしれないという話+4chanカップに出場したYUA】の続きを読む



    アニメオタク外人さん
    エボシ御前は間違っている
    それでも我々は彼女のことを知りたいと思う

    アニメーション映画の登場人物は、良い人間であればあるほど関心を集める
    映画の悪役にはたいてい同情的なバックストーリーがあり、それを見た我々は彼らを良い人間だと思ってしまう
    その悪役が何か悪いことをすると、それまでの感情移入がすべて無効化される


    しかし宮崎アニメでは複雑な感情が入り混じっていて悪人と善人両方に感情移入できる
    映画『もののけ姫』は憎しみについての話だ

    我々はアシタカの視点を通していろいろな対立を目にする
    森に足を踏み入れ、その美しさに感動し、シシ神様に畏敬の念を抱く
    サンと打ち解けたあとは、猩々、イノシシ、山犬の関係性を知る
    アシタカはモロの信頼を得、人間に荒らされた被害を見る
    伐採された木、死んだ神々、そして自分自身の人間性を嫌悪し、すべての人間を殺したがっている山犬の女の子

    一方タタラ場ではエボシの作った立派なコミュニティ、売られているところを救われた女性、ハンセン病患者などを見る
    彼らは自分の仕事に誇りを持っている
    エボシをどれだけ尊敬しているか、戦いに対する覚悟があるかをここで知り、エボシがいなければ絶望的な状況だっただろうことを漠然と理解する
    山犬の襲撃で愛する者を失った人たちを見、彼女らと一緒に死を弔う

    タタラ場と森の戦いに悪役はいない
    エボシは森を切って製鉄所の燃料にし、人々の生活を豊かにしている
    サンは森を枯らさせないためにエボシを殺そうとする
    誰もが自分の愛するものを守ろうとしている
    みんな自分の世界の価値観で「善」を行っている
    愛するものを奪われた経験のある彼らは、何かを憎まずにはいられない状況に陥っている
    誰もが何かしらの罪を背負っている

    アシタカはこれを理解し、曇りなき眼でこれを見ようとする
    だが彼はどちら側につくか選ぶことになる


    ・エボシは間違っているから

    仮に血で血を洗う争いがなかったとしたら?
    エボシが森に入らなければサンに憎まれることもなかった
    山犬は攻撃してこないだろう、サンも街を襲撃せず、死者もいなかっただろう

    サンが攻撃しないという選択肢もある
    その場合エボシが森を伐採し続け、土地は枯れ、空気は汚れ、森は死ぬだろう
    森林伐採は「憎しみ」でやっているわけではないが、とにかく森は死ぬ

    アシタカが望んでいるのは平和だ
    タタラ場と森が対立せず生きていける道を探している
    必然的に森に味方するしかない
    自然が死ぬと人間と森両方が不幸になるので、彼はシシ神を討とうとするエボシを止める

    同時にタタラ場も守ろうとし、できることすべてをやる
    そして街の人がエボシに従うのををやめさせようとはしない
    しかしエボシを気にかけることは、彼女を自由にさせておくという意味ではない

    アニメ映画では同意と共感を同じ意味で扱う傾向がある
    つまり「それは間違いだ」という意見は「君のことが好きじゃない」と同じ意味になる
    誰かを裁く瞬間は貶すのと同じ
    対立している両側に共感するのであれば、それは全員が正しい、間違っている人は皆無だということを意味し、すべてが主観的、すべての戦いは単なるコミュニケーション不足が原因になる


    もしエボシとサンが座って会話をしたらどうだろう
    争いの原因が単なる行き違いではないことがわかる
    ひとつの意見は「森には存続させる価値がある」ということ
    もうひとつが「森に価値はないから消えてもいい」ということ

    この違いに間はない
    中立の意見は存在しない

    エボシは間違っていた
    一度失えば取り返しがつかなくなるようなものを否定してはならない
    しかしほとんどの悪い意見は善人に支持されている
    彼らに慈しみの感情を学ばせ、伐採を止めなければならなかった
    (※アシタカが止めなければならなかったという意味)

    エボシにこう言うことができた
    「あなたはサンの家を襲い、母親を撃った。だから彼女はこの争いの責任はあなたにあると言っている」

    エボシはこう答えるかもしれない
    「私にも同じことが言える。サンは私の家を襲い、部下を殺した。この争いの原因は彼女にある。彼女は私に責任があると言う。誰が正しいのか?」

    まぁ、その通りだ
    他の動画のコメントからこれを持ってきたい

    ダグラス・アダムズは言った
    「私の見解では月は岩でできている。
    しかし誰かがこう言う
    “あなたは月に行ったことがありませんよね? だから月はノルウェー産ビーバーチーズでできているという私の見解も有効です”
    この議論すらできない」

    真実は意見の影響を受けない
    森は問題か否か
    我々が介入しなければ森は死ぬ

    (※我々というのはアシタカと視聴者のこと)

    道徳はいくつかの事実に頼っていると信じられている
    生命には価値がある
    だから冷酷な殺人は間違っている
    痛みや苦しみは和らげられなければならない

    人を殺さないということに同意するならば、他人からも殺されない
    これが殺人は客観的に悪だという実用的な事実に繋がる
    我々の道徳は環境の産物であって、我々の需要と信義は正しいと思うものに影響を与えている


    明らかにエボシは森はいくらでも消費していいと信じている
    信じる必要があるから信じている
    彼女の生活と幸福、コミュニティ全体は森を消費することに依存しているから、森林伐採は道徳的な行いである
    それでも正しいか間違っているかの違いが残る

    もし本心から信じていないのなら、エボシの信じていることは道徳ではない
    単なる功利主義と部族主義だ

    これが本当かどうか確かめる術はない
    おそらくジコ坊が言っているように「人はいずれ死ぬ、遅いか早いかだけだ」なのかもしれない
    すべての偏見をなくしたら、客観的事実なんてものはないとわかる
    結局道徳は部族主義に過ぎず、規模が大きいだけの利己主義だ
    正しいかどうかは知らん
    でも間違ってるなら世界はもっといい場所になってるはずだ


    ・だから立ち位置を選ぶ

    アシタカは森を選ぶ
    エボシが間違っているから
    しかし彼は憎まない
    この争いの原因は憎しみではない

    すべての登場人物のうち一番憎しみが少ないのはジコ坊だろう
    彼は利己的で勘定高いだけだ
    そして最も悪役的でもある


    恨みを抑えるだけではこの問題は解決しないけれど、憎しみを捨てることで何が必要なのか見えてくる
    エボシは死ななくてもいい
    彼女は救われるべきだ

    何を言っても彼女は反論してくるだろうし、恩着せがましいと言ってくるかもしれない
    それでも「自分のほうがよく分かってる」と言うべきだ

    エボシはそれを憎しみだと捉えるかもしれない
    「アシタカ、なぜ私を憎む? この映画の3分の1もの時間を使って優しくしたのに。家にも連れて行った、食べ物もあげた、身内だと思っていた。なぜ味方してくれなかった?」


    何を言っても憎まれてると思うかもしれない
    でもそうじゃない
    アシタカは正しいことをしているだけだ

    ・最後に

    俺はこの教訓を『もののけ姫』から学んだか?
    わからん
    最初に見たのが何歳だったか覚えてない
    高校のときか、もっと早かったかもしれない


    いつ思いついたのかもわからない
    おそらく常に考えてた
    俺には問題のすべての面を考える癖がある
    誰かが何かを非難していたとしても、そいつが悪役とは限らない

    その手の共感はその人物を説明するものではない
    あらゆる視点で物事を考えると、見ていて混乱せずに済むよ

    困難な作業でもあるが
    自分自身にある偏見や今までに見聞きしてきたことを一旦忘れて、何が正しいか考える
    そんなことが可能なのか?
    傲慢じゃないのか?
    もし間違っていたら?
    結局何を知ることができる?

    それ自体が闘争でもある
    やってみなければわからない


    アニメオタク外人さん
    でもエボシ様が止められたら人が死ぬ
    木を切ることで人間社会が成り立ってるから
    人間社会より森林のほうが重要だというのは、自然の脅威を強要するのと同じで、定期的に死者が出て人口が制限される

    人口に対し食料が少なくなるとどうなる?
    狩りを始める
    エボシ様がいなくなるとタタラ場は無秩序になる
    両者は生存をかけて戦っている
    タタラ場より森が重要なのはなぜ?

    別の言い方をするなら、エボシ様が間違っているからといってサンが正しいということにはならない

    アニメオタク外人さん(主)
    >>2
    「人類が生き延びる唯一の方法は、すべての木を伐採することである」というのは健全な状態じゃない


    アニメオタク外人さん
    タタラ場を運営することで住人の貧困を解消させる
    女たちを買い取り、ハンセン病患者を絶望から救う
    しかし森は気にしない
    なぜなら森は女たちやハンセン病患者にとってはどうでもいいから

    エボシがタタラ場と同じくらい森を良くできるとは限らない

    アニメオタク外人さん
    5分48秒で言ってる功利主義の使い方には誤解がある
    彼は道徳的ではないと言ってるが、部族主義と並べて原始的な利己主義という意味で使っているなら、倫理的エゴイズムはれっきとした道徳的立場になる

    その後で道徳の目的を「生命のため」「苦しみを和らげる」「感覚的な幸福を求める」ためと言っている
    皮肉にもこれは彼自身が以前の動画で出した功利主義の基本的な解説だ
    この動画の哲学的アイデアはかなり無知で、薄っぺらく見当違い
    【もののけ姫をエボシ様から考察する外国人】の続きを読む

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